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2015年04月15日
第三十四回 美しい街並みの宇津ノ谷を歩こう
4月の第2日曜日に静岡市の宇津ノ谷(うつのや)で「ふるさと味覚祭り」が開催されたので行ってみた。春は筍、秋は自然薯が味わえる、とてもおいしいお祭りである。
宇津ノ谷は静岡市の西に位置し、旧岡部町(現藤枝市)との境にあり、国道1号線から少し入ったところに集落がある。宇津ノ谷峠は古くからの街道で戦国時代から利用されていたようである。明治時代に入るとレンガ造りのトンネルが掘られた。これが我が国初の有料トンネルになるらしい。その後大正のトンネル、昭和のトンネル、平成のトンネルが造られている。
明治のトンネル、向こう側は旧岡部町(現藤枝市)
宇津ノ谷は「美しいまちづくり推進地区」に指定されており、この地域の建物の特色や雰囲気を残している。住民でまちづくり協議会を組織し、街並みの保存やまちづくりを模索している。
この地域の建物の特徴として「せがい造り」がある。この造りは東海道にある建物にもみられる。これは軒を深くするために柱や桁から腕木を出しその先端に出桁を乗せ、その上に垂木を掛けている造りである。また地域によって軒の深さや腕木の間隔などが違っているので見比べてみるのも面白いと思う。
せがい造り
宇津ノ谷の全景 瓦屋根が多く街並みの印象が良い
この景観は、静岡市と宇津ノ谷まちづくり協議会による周景事業の成果でもあると思う。現代において、行政との共同事業なくしては、これだけの景観を残す事は非常に難しいと思う。また、ここに暮らす住民の意識の高さにも敬意を表したいと思う。
宇津ノ谷の七夕
清水の駅前商店街の七夕飾りとまではいかないが、7月には住民手作りの七夕飾りを飾り付ける。
このような風景を見ることも今では少ないのではないだろうか。
4月のお祭りは終わったが、11月には秋の味覚祭りが開催される予定。
詳細はインターネットで検索できるので、ぜひ、宇津ノ谷に訪れてみてはどうでしょうか。
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執筆/カメヤマ建築デザイン 亀山靖生
宇津ノ谷は静岡市の西に位置し、旧岡部町(現藤枝市)との境にあり、国道1号線から少し入ったところに集落がある。宇津ノ谷峠は古くからの街道で戦国時代から利用されていたようである。明治時代に入るとレンガ造りのトンネルが掘られた。これが我が国初の有料トンネルになるらしい。その後大正のトンネル、昭和のトンネル、平成のトンネルが造られている。
明治のトンネル、向こう側は旧岡部町(現藤枝市)
宇津ノ谷は「美しいまちづくり推進地区」に指定されており、この地域の建物の特色や雰囲気を残している。住民でまちづくり協議会を組織し、街並みの保存やまちづくりを模索している。
この地域の建物の特徴として「せがい造り」がある。この造りは東海道にある建物にもみられる。これは軒を深くするために柱や桁から腕木を出しその先端に出桁を乗せ、その上に垂木を掛けている造りである。また地域によって軒の深さや腕木の間隔などが違っているので見比べてみるのも面白いと思う。
せがい造り
宇津ノ谷の全景 瓦屋根が多く街並みの印象が良い
この景観は、静岡市と宇津ノ谷まちづくり協議会による周景事業の成果でもあると思う。現代において、行政との共同事業なくしては、これだけの景観を残す事は非常に難しいと思う。また、ここに暮らす住民の意識の高さにも敬意を表したいと思う。
宇津ノ谷の七夕
清水の駅前商店街の七夕飾りとまではいかないが、7月には住民手作りの七夕飾りを飾り付ける。
このような風景を見ることも今では少ないのではないだろうか。
4月のお祭りは終わったが、11月には秋の味覚祭りが開催される予定。
詳細はインターネットで検索できるので、ぜひ、宇津ノ谷に訪れてみてはどうでしょうか。
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執筆/カメヤマ建築デザイン 亀山靖生
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2015年04月01日
第三十三回 奇石、痕石、軌石
私は奇石珍石のコレクターではありませんが。
石は、その土地の性質やなりたちを考える手掛かりになります。また意外な事も発見できるものです。私たちの住む身近なところにも石の文化の軌跡をたどることができます。
県内のさまざまな小石
古代、巨石を支配するものがその地域を治める時代がありました。巨石のある場所は祭祀を行う場所、磐座(いわくら)と呼ばれています。浜松市引佐の天白磐座遺跡や掛川市粟が岳の山頂に巨石の遺跡があります。どのような祭祀を行ったか、定かではありません。木々が周囲を覆っていますが、かつては見晴らしが良く太陽の光がさんさんと降り注ぐ場所であったと思います。自然がつくる造形であり霊的なものを感じる場所です。
天白磐座遺跡
粟が岳山頂
浜松市の北部、浜名湖の周辺には石灰質の石が多く見られます。もともとは海底に沈んだ生物の死骸がたまり、固まったものが海底から隆起したものと考えられています。サンゴのような白色が基調でその中に赤や黄土色、大理石のように輝くものもあります。
このあたりは鎌倉時代の浄土式庭園、枯山水の庭園を持つ禅宗寺院が多く存在しています。摩訶耶寺、龍潭寺の庭園などです。これらの寺院に見られる石庭のデザインは、地元の人の手によるものではなく、京都に住んでいた格の高い僧侶や大名が関係しているように思われます。
摩訶耶寺、龍潭寺には、近隣で産出する自然石が使われています。石の存在が仏教寺院を引き寄せるひとつの要因になったのではないかと考えています。
摩訶耶寺
龍潭寺
斜面の崩壊を防ぐために石垣を積む。河川の堤防やまちの中の水路の土手、安定した地盤をつくるのに、石を敷く。インフラを整備するのに石は必需品ですが、石の移動にはたいへんな労働力が必要です。地産地消で、現地の石を利用した方が経済的です。しかし江戸時代の始めには、静岡の伊豆の石が江戸のまちづくりのために大量に使われました。石を切りだす、船で運ぶ、石を築くなど、幕府が全国の諸大名に石高に応じた普請を命じたのです。これは天下普請と呼ばれています。伊豆の石は江戸のまちのインフラの礎になっているのです。
また駿府城の普請は加賀藩が担ったとされています。藁科側上流や大崩海岸の石を船やいかだで搬出したと言われています。石を切り出したあと、船に積み込むことができる環境があったのです。山間部には石垣が残っています。焼津市の花沢集落、島田市の伊久美の二股地区の集落は切り石が精度良く積まれています。近世の城壁のようです。熟練した技術者の残した痕跡です。
花沢集落
伊久美二股の集落
奇跡、痕跡、軌跡、まさに石にまつわる語のようです。
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執筆/天野吉尚 AMANO建築研究所 島田市在住
石は、その土地の性質やなりたちを考える手掛かりになります。また意外な事も発見できるものです。私たちの住む身近なところにも石の文化の軌跡をたどることができます。
県内のさまざまな小石
古代、巨石を支配するものがその地域を治める時代がありました。巨石のある場所は祭祀を行う場所、磐座(いわくら)と呼ばれています。浜松市引佐の天白磐座遺跡や掛川市粟が岳の山頂に巨石の遺跡があります。どのような祭祀を行ったか、定かではありません。木々が周囲を覆っていますが、かつては見晴らしが良く太陽の光がさんさんと降り注ぐ場所であったと思います。自然がつくる造形であり霊的なものを感じる場所です。
天白磐座遺跡
粟が岳山頂
浜松市の北部、浜名湖の周辺には石灰質の石が多く見られます。もともとは海底に沈んだ生物の死骸がたまり、固まったものが海底から隆起したものと考えられています。サンゴのような白色が基調でその中に赤や黄土色、大理石のように輝くものもあります。
このあたりは鎌倉時代の浄土式庭園、枯山水の庭園を持つ禅宗寺院が多く存在しています。摩訶耶寺、龍潭寺の庭園などです。これらの寺院に見られる石庭のデザインは、地元の人の手によるものではなく、京都に住んでいた格の高い僧侶や大名が関係しているように思われます。
摩訶耶寺、龍潭寺には、近隣で産出する自然石が使われています。石の存在が仏教寺院を引き寄せるひとつの要因になったのではないかと考えています。
摩訶耶寺
龍潭寺
斜面の崩壊を防ぐために石垣を積む。河川の堤防やまちの中の水路の土手、安定した地盤をつくるのに、石を敷く。インフラを整備するのに石は必需品ですが、石の移動にはたいへんな労働力が必要です。地産地消で、現地の石を利用した方が経済的です。しかし江戸時代の始めには、静岡の伊豆の石が江戸のまちづくりのために大量に使われました。石を切りだす、船で運ぶ、石を築くなど、幕府が全国の諸大名に石高に応じた普請を命じたのです。これは天下普請と呼ばれています。伊豆の石は江戸のまちのインフラの礎になっているのです。
また駿府城の普請は加賀藩が担ったとされています。藁科側上流や大崩海岸の石を船やいかだで搬出したと言われています。石を切り出したあと、船に積み込むことができる環境があったのです。山間部には石垣が残っています。焼津市の花沢集落、島田市の伊久美の二股地区の集落は切り石が精度良く積まれています。近世の城壁のようです。熟練した技術者の残した痕跡です。
花沢集落
伊久美二股の集落
奇跡、痕跡、軌跡、まさに石にまつわる語のようです。
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執筆/天野吉尚 AMANO建築研究所 島田市在住
Posted by 日刊いーしず at 12:00