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2015年04月01日
第三十三回 奇石、痕石、軌石
私は奇石珍石のコレクターではありませんが。
石は、その土地の性質やなりたちを考える手掛かりになります。また意外な事も発見できるものです。私たちの住む身近なところにも石の文化の軌跡をたどることができます。
県内のさまざまな小石
古代、巨石を支配するものがその地域を治める時代がありました。巨石のある場所は祭祀を行う場所、磐座(いわくら)と呼ばれています。浜松市引佐の天白磐座遺跡や掛川市粟が岳の山頂に巨石の遺跡があります。どのような祭祀を行ったか、定かではありません。木々が周囲を覆っていますが、かつては見晴らしが良く太陽の光がさんさんと降り注ぐ場所であったと思います。自然がつくる造形であり霊的なものを感じる場所です。
天白磐座遺跡
粟が岳山頂
浜松市の北部、浜名湖の周辺には石灰質の石が多く見られます。もともとは海底に沈んだ生物の死骸がたまり、固まったものが海底から隆起したものと考えられています。サンゴのような白色が基調でその中に赤や黄土色、大理石のように輝くものもあります。
このあたりは鎌倉時代の浄土式庭園、枯山水の庭園を持つ禅宗寺院が多く存在しています。摩訶耶寺、龍潭寺の庭園などです。これらの寺院に見られる石庭のデザインは、地元の人の手によるものではなく、京都に住んでいた格の高い僧侶や大名が関係しているように思われます。
摩訶耶寺、龍潭寺には、近隣で産出する自然石が使われています。石の存在が仏教寺院を引き寄せるひとつの要因になったのではないかと考えています。
摩訶耶寺
龍潭寺
斜面の崩壊を防ぐために石垣を積む。河川の堤防やまちの中の水路の土手、安定した地盤をつくるのに、石を敷く。インフラを整備するのに石は必需品ですが、石の移動にはたいへんな労働力が必要です。地産地消で、現地の石を利用した方が経済的です。しかし江戸時代の始めには、静岡の伊豆の石が江戸のまちづくりのために大量に使われました。石を切りだす、船で運ぶ、石を築くなど、幕府が全国の諸大名に石高に応じた普請を命じたのです。これは天下普請と呼ばれています。伊豆の石は江戸のまちのインフラの礎になっているのです。
また駿府城の普請は加賀藩が担ったとされています。藁科側上流や大崩海岸の石を船やいかだで搬出したと言われています。石を切り出したあと、船に積み込むことができる環境があったのです。山間部には石垣が残っています。焼津市の花沢集落、島田市の伊久美の二股地区の集落は切り石が精度良く積まれています。近世の城壁のようです。熟練した技術者の残した痕跡です。
花沢集落
伊久美二股の集落
奇跡、痕跡、軌跡、まさに石にまつわる語のようです。
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執筆/天野吉尚 AMANO建築研究所 島田市在住
石は、その土地の性質やなりたちを考える手掛かりになります。また意外な事も発見できるものです。私たちの住む身近なところにも石の文化の軌跡をたどることができます。
県内のさまざまな小石
古代、巨石を支配するものがその地域を治める時代がありました。巨石のある場所は祭祀を行う場所、磐座(いわくら)と呼ばれています。浜松市引佐の天白磐座遺跡や掛川市粟が岳の山頂に巨石の遺跡があります。どのような祭祀を行ったか、定かではありません。木々が周囲を覆っていますが、かつては見晴らしが良く太陽の光がさんさんと降り注ぐ場所であったと思います。自然がつくる造形であり霊的なものを感じる場所です。
天白磐座遺跡
粟が岳山頂
浜松市の北部、浜名湖の周辺には石灰質の石が多く見られます。もともとは海底に沈んだ生物の死骸がたまり、固まったものが海底から隆起したものと考えられています。サンゴのような白色が基調でその中に赤や黄土色、大理石のように輝くものもあります。
このあたりは鎌倉時代の浄土式庭園、枯山水の庭園を持つ禅宗寺院が多く存在しています。摩訶耶寺、龍潭寺の庭園などです。これらの寺院に見られる石庭のデザインは、地元の人の手によるものではなく、京都に住んでいた格の高い僧侶や大名が関係しているように思われます。
摩訶耶寺、龍潭寺には、近隣で産出する自然石が使われています。石の存在が仏教寺院を引き寄せるひとつの要因になったのではないかと考えています。
摩訶耶寺
龍潭寺
斜面の崩壊を防ぐために石垣を積む。河川の堤防やまちの中の水路の土手、安定した地盤をつくるのに、石を敷く。インフラを整備するのに石は必需品ですが、石の移動にはたいへんな労働力が必要です。地産地消で、現地の石を利用した方が経済的です。しかし江戸時代の始めには、静岡の伊豆の石が江戸のまちづくりのために大量に使われました。石を切りだす、船で運ぶ、石を築くなど、幕府が全国の諸大名に石高に応じた普請を命じたのです。これは天下普請と呼ばれています。伊豆の石は江戸のまちのインフラの礎になっているのです。
また駿府城の普請は加賀藩が担ったとされています。藁科側上流や大崩海岸の石を船やいかだで搬出したと言われています。石を切り出したあと、船に積み込むことができる環境があったのです。山間部には石垣が残っています。焼津市の花沢集落、島田市の伊久美の二股地区の集落は切り石が精度良く積まれています。近世の城壁のようです。熟練した技術者の残した痕跡です。
花沢集落
伊久美二股の集落
奇跡、痕跡、軌跡、まさに石にまつわる語のようです。
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執筆/天野吉尚 AMANO建築研究所 島田市在住
Posted by 日刊いーしず at 12:00