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2015年08月19日
第四十二回 清水の瓦と次郎長生家
今回は私が現在調査中の清水瓦について書きたいと思います。
みなさんは「清水瓦」をご存知でしょうか。
現在、国内における瓦の三大産地といえば「三州(愛知県)」「石州(島根県)」「淡路(兵庫県)」です。しかし、かつては静岡もこの3つに肩を並べるほどの瓦産地だったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・
■清水瓦との出会い
清水瓦との出会いは、静岡市清水区にある次郎長生家という建物を現地調査した際、使用されている瓦に歴史的価値があるかもしれないと思ったことがきっかけでした。


次郎長生家屋根瓦(撮影:伊藤貴広)
もし歴史的な価値があるならその扱いに気をつける必要があります。そこで懇意にしている瓦業者に相談し、一緒に再調査を行いました。また、静岡における瓦製造についての資料を探し集め、近畿大学文芸学部准教授の「伊豆のなまこ壁建造物群と清水瓦」という論文に出会いました。清水瓦についてよくわかる論文です。
この論文を読んだだけでは満足できなかった私は、著者である近畿大学の網先生に直接電話して清水瓦に関する様々な情報を伺いました。そして清水瓦についてますます興味ををもったのです。
■清水瓦についての調査
まず、論文に登場する清見寺(静岡市清水区)の見学調査を企画しました。調査メンバーは、同じく論文に登場する株式会社渡邊商店(藤枝市)代表の渡邊隆之氏や、次郎長生家耐震改修・修繕検討委員の数名です。今年4月、清水瓦のことを知る数少ない存在である渡邊氏に、清水瓦の特徴を確認できる清見寺の屋根瓦について解説していただきました。
その後、次郎長生家にも足を運んでいただき、清見寺に使用されている瓦との類似性など調べています。

清見寺山門(撮影:伊藤貴広)

次郎長生家調査(撮影:伊藤貴広)
不思議なことに、瓦について興味を持ち徐々に知識が増えると、まち歩きの際、今までと異なる視点で建物をみるようになってきました。今までまったく気をとめなかった点に気がつくようになるのは楽しいものです。
■次郎長生家の屋根瓦
調査の結果、次郎長生家の屋根瓦は清水瓦であり、清水の失われた地場産業を後世に伝える重要な存在であるとわかりました。
そのため、現在の次郎長生家耐震改修・修繕工事基本方針の屋根部分は、なるべく既存瓦を再利用する主旨の内容となっています。
■清水瓦のことを知る人たち
網先生の論文以外にも清水瓦について書かれた資料はあります。
2009年の「季刊清水」42号で、ブックデザイナーの石原雅彦さんが「戦後復興を支えた清水の瓦」という題名で清水瓦のことを書かれています。こちらでは清水で瓦を製造していた労働者とその家族の生活を知ることができます。ぜひご一読下さい。
『季刊清水』バックナンバー
「戦後復興を支えた清水の瓦」
下の写真は、石原さんが撮影した1970年頃の清水にあった瓦工場です。
次郎長生家耐震改修・修繕工事基本方針を発表した際、清水瓦についても少し話をしました。するとその当時を懐かしむ参加者もいました。私としては次郎長生家を通じて、清水にかつて存在した地場産業を後世に伝えられたらと思っています。
■最後に
網先生は、清水瓦を忘れ去れていく地場産業、近代化を支えた地場産業と表現し、石原雅彦さんは泥まみれの労働者たちが遺した産業遺産と表現しています。私も同感です。
今や清水瓦のことを知る方は地元でも少ないようです。しかし、現在も痕跡は存在するのです。意識してまちを歩けば、その痕跡をみつけることができるでしょう。
清水の瓦について調査した内容や入手した情報量は膨大であり、個人的に調査は継続しているため、この場で全てを説明するのは正直困難です。
そのため、今回の「まちの双眼鏡」の内容は本当に簡単な紹介程度に終わってしまいました。
いつかきちんとした形で、清水の瓦について多くの方に知っていただく機会をつくり、資料もまとめたいと考えています。
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執筆/有限会社マルワ建工 代表 伊藤貴広
(次郎長生家耐震改修・修繕検討委員)
みなさんは「清水瓦」をご存知でしょうか。
現在、国内における瓦の三大産地といえば「三州(愛知県)」「石州(島根県)」「淡路(兵庫県)」です。しかし、かつては静岡もこの3つに肩を並べるほどの瓦産地だったのです。
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■清水瓦との出会い
清水瓦との出会いは、静岡市清水区にある次郎長生家という建物を現地調査した際、使用されている瓦に歴史的価値があるかもしれないと思ったことがきっかけでした。

次郎長生家屋根瓦(撮影:伊藤貴広)
もし歴史的な価値があるならその扱いに気をつける必要があります。そこで懇意にしている瓦業者に相談し、一緒に再調査を行いました。また、静岡における瓦製造についての資料を探し集め、近畿大学文芸学部准教授の「伊豆のなまこ壁建造物群と清水瓦」という論文に出会いました。清水瓦についてよくわかる論文です。
この論文を読んだだけでは満足できなかった私は、著者である近畿大学の網先生に直接電話して清水瓦に関する様々な情報を伺いました。そして清水瓦についてますます興味ををもったのです。
■清水瓦についての調査
まず、論文に登場する清見寺(静岡市清水区)の見学調査を企画しました。調査メンバーは、同じく論文に登場する株式会社渡邊商店(藤枝市)代表の渡邊隆之氏や、次郎長生家耐震改修・修繕検討委員の数名です。今年4月、清水瓦のことを知る数少ない存在である渡邊氏に、清水瓦の特徴を確認できる清見寺の屋根瓦について解説していただきました。
その後、次郎長生家にも足を運んでいただき、清見寺に使用されている瓦との類似性など調べています。
清見寺山門(撮影:伊藤貴広)
次郎長生家調査(撮影:伊藤貴広)
不思議なことに、瓦について興味を持ち徐々に知識が増えると、まち歩きの際、今までと異なる視点で建物をみるようになってきました。今までまったく気をとめなかった点に気がつくようになるのは楽しいものです。
■次郎長生家の屋根瓦
調査の結果、次郎長生家の屋根瓦は清水瓦であり、清水の失われた地場産業を後世に伝える重要な存在であるとわかりました。
そのため、現在の次郎長生家耐震改修・修繕工事基本方針の屋根部分は、なるべく既存瓦を再利用する主旨の内容となっています。
■清水瓦のことを知る人たち
網先生の論文以外にも清水瓦について書かれた資料はあります。
2009年の「季刊清水」42号で、ブックデザイナーの石原雅彦さんが「戦後復興を支えた清水の瓦」という題名で清水瓦のことを書かれています。こちらでは清水で瓦を製造していた労働者とその家族の生活を知ることができます。ぜひご一読下さい。
『季刊清水』バックナンバー
「戦後復興を支えた清水の瓦」
下の写真は、石原さんが撮影した1970年頃の清水にあった瓦工場です。
(撮影者である石原雅彦さんの許可を得た上で掲載)


次郎長生家耐震改修・修繕工事基本方針を発表した際、清水瓦についても少し話をしました。するとその当時を懐かしむ参加者もいました。私としては次郎長生家を通じて、清水にかつて存在した地場産業を後世に伝えられたらと思っています。
■最後に
網先生は、清水瓦を忘れ去れていく地場産業、近代化を支えた地場産業と表現し、石原雅彦さんは泥まみれの労働者たちが遺した産業遺産と表現しています。私も同感です。
今や清水瓦のことを知る方は地元でも少ないようです。しかし、現在も痕跡は存在するのです。意識してまちを歩けば、その痕跡をみつけることができるでしょう。
清水の瓦について調査した内容や入手した情報量は膨大であり、個人的に調査は継続しているため、この場で全てを説明するのは正直困難です。
そのため、今回の「まちの双眼鏡」の内容は本当に簡単な紹介程度に終わってしまいました。
いつかきちんとした形で、清水の瓦について多くの方に知っていただく機会をつくり、資料もまとめたいと考えています。
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執筆/有限会社マルワ建工 代表 伊藤貴広
(次郎長生家耐震改修・修繕検討委員)
Posted by 日刊いーしず at 12:00