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2015年11月04日
第四十七回 今でもModernな日坂宿の旅籠 萬屋
東海道中膝栗毛の弥次さん喜多さんの江戸から京都への珍道中の一齣(ひとこま)。
岡部の宿を早朝に出立し、掛川の宿を目指したものの、相も変わらずあちらこちらで騒動を起こしては大騒ぎ。なんとか大井川の川越え、そして金谷の宿から日坂の宿まで峠の坂道を登る。午後になると雨はどしゃぶりになり、弥次さんが腹痛を起こす。まだ昼の2時にもならないうちから日坂の旅籠にチェックイン。というのが日坂の宿での顛末の始まりです。しかしながらここから先は、このコラムで説明するのははばかられる次第です。江戸時代の風俗のおおらかさと作者の十返舎一九の真骨頂。現代でもあるこの手の話は、色気あり、どたばたありの無茶苦茶な喜劇の元祖そのものです。興味のある方は現代語訳の本で。
さて話を建築に。
日坂の宿場にはその弥次さん喜多さんが泊まったかもしれない旅籠が残されています。

江戸末期の姿をとどめる庶民旅籠の萬屋(よろずや)です。間口が4.5間の2階建ての杉の下見板貼り、瓦葺きの建物です。昔は板葺き屋根だったかもしれません。部屋は1、2階とも大部屋で、街道の混雑具合により宿泊客を増やせるようにできています。現代で言えばユースホステルのドミトリー形式、雑魚寝でオッケーという感じでしょうか。江戸時代は他に、食事なし(自炊)の木賃宿がありますが、それより上等な風呂と食事のある庶民的な旅籠です。

正面の入り口の開口廻りの建具のデザインには興味をそそられます。引いたり外したり、また蔀戸(しとみど)のように吊り下げたり、障子戸の和紙の白と外壁の木の色の対比が絶妙です。ピエットモンドリアンの絵画のようでもあります。幕末から明治のころ、当時文明国だった欧米人が、江戸時代の日本の浮世絵や建築、工芸品を見て感じた新鮮さがうかがえます。そこに日本のmodern(モダン)を感じたことでしょう。

土間の「みせにわ」に立つと、弥次さん喜多さんが奥から着物の合わせを乱しながら、あわてふためいて、ふと飛び出してきそうです(笑)。
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執筆/天野吉尚 AMANO建築研究所 島田市在住
岡部の宿を早朝に出立し、掛川の宿を目指したものの、相も変わらずあちらこちらで騒動を起こしては大騒ぎ。なんとか大井川の川越え、そして金谷の宿から日坂の宿まで峠の坂道を登る。午後になると雨はどしゃぶりになり、弥次さんが腹痛を起こす。まだ昼の2時にもならないうちから日坂の旅籠にチェックイン。というのが日坂の宿での顛末の始まりです。しかしながらここから先は、このコラムで説明するのははばかられる次第です。江戸時代の風俗のおおらかさと作者の十返舎一九の真骨頂。現代でもあるこの手の話は、色気あり、どたばたありの無茶苦茶な喜劇の元祖そのものです。興味のある方は現代語訳の本で。
さて話を建築に。
日坂の宿場にはその弥次さん喜多さんが泊まったかもしれない旅籠が残されています。

江戸末期の姿をとどめる庶民旅籠の萬屋(よろずや)です。間口が4.5間の2階建ての杉の下見板貼り、瓦葺きの建物です。昔は板葺き屋根だったかもしれません。部屋は1、2階とも大部屋で、街道の混雑具合により宿泊客を増やせるようにできています。現代で言えばユースホステルのドミトリー形式、雑魚寝でオッケーという感じでしょうか。江戸時代は他に、食事なし(自炊)の木賃宿がありますが、それより上等な風呂と食事のある庶民的な旅籠です。

正面の入り口の開口廻りの建具のデザインには興味をそそられます。引いたり外したり、また蔀戸(しとみど)のように吊り下げたり、障子戸の和紙の白と外壁の木の色の対比が絶妙です。ピエットモンドリアンの絵画のようでもあります。幕末から明治のころ、当時文明国だった欧米人が、江戸時代の日本の浮世絵や建築、工芸品を見て感じた新鮮さがうかがえます。そこに日本のmodern(モダン)を感じたことでしょう。

土間の「みせにわ」に立つと、弥次さん喜多さんが奥から着物の合わせを乱しながら、あわてふためいて、ふと飛び出してきそうです(笑)。
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執筆/天野吉尚 AMANO建築研究所 島田市在住
Posted by 日刊いーしず at 12:00