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2015年05月20日
第三十六回 家を建てる前の「地鎮祭」ってなんだろう?
地鎮祭とは、土木工事や建物を建てる際に、神様に工事の安全と建物や家の繁栄を祈る儀式のことを言います。
「じちんさい」と読むほか「とこしづめのまつり」と読むこともあります。
建物を建てる土地や、土木工事をする土地の氏神様の神主をお招きして、地鎮祭をとりおこないます。お供え物をし、祝詞をあげ、お払いをして浄め、施主が初めてその土地に鍬(くわ)や鋤(すき)を入れます。
起工式と同時に行われる場合もあります。

しかし、どうして地鎮祭をすることになったのでしょう。
古来、日本という地は国土が狭く、さらには農耕民族であったために、土地は縄張りであり、争いの元となってきました。
もともと国土は神様のものであり、我々人間は神様に土地を借りて、田を開いたり家を建てたりしているというのが、昔からの考え方です。
だから、勝手に土地を使って家を建てて、土地の神様の怒りに触れないよう、あらかじめ「ここに家を建てますよ!」と宣言するのが「地鎮祭」というわけです。
また、大工などの職人さんたちは、非常に縁起を担ぎます。これは危険の多い仕事を毎日していることから、縁起を担ぐことで意識を高め、事故を未然に防ぐという知恵でもあるのでしょう。
ですから地鎮祭というのは、工事の無事を祈るためだけでなく、関係者全員の身をひきしめる式典でもあります。
加えて言えば地鎮祭は、その土地で以前に起こったことを浄化するという意味もあります。
土地を巡る争いの絶えなかった日本では、いつの時代か、あなたの土地が争いの火種になっていたかもしれないのですからね。
地鎮祭はやはり大切ですね。
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執筆/nanami
「じちんさい」と読むほか「とこしづめのまつり」と読むこともあります。
建物を建てる土地や、土木工事をする土地の氏神様の神主をお招きして、地鎮祭をとりおこないます。お供え物をし、祝詞をあげ、お払いをして浄め、施主が初めてその土地に鍬(くわ)や鋤(すき)を入れます。
起工式と同時に行われる場合もあります。
しかし、どうして地鎮祭をすることになったのでしょう。
古来、日本という地は国土が狭く、さらには農耕民族であったために、土地は縄張りであり、争いの元となってきました。
もともと国土は神様のものであり、我々人間は神様に土地を借りて、田を開いたり家を建てたりしているというのが、昔からの考え方です。
だから、勝手に土地を使って家を建てて、土地の神様の怒りに触れないよう、あらかじめ「ここに家を建てますよ!」と宣言するのが「地鎮祭」というわけです。
また、大工などの職人さんたちは、非常に縁起を担ぎます。これは危険の多い仕事を毎日していることから、縁起を担ぐことで意識を高め、事故を未然に防ぐという知恵でもあるのでしょう。
ですから地鎮祭というのは、工事の無事を祈るためだけでなく、関係者全員の身をひきしめる式典でもあります。
加えて言えば地鎮祭は、その土地で以前に起こったことを浄化するという意味もあります。
土地を巡る争いの絶えなかった日本では、いつの時代か、あなたの土地が争いの火種になっていたかもしれないのですからね。
地鎮祭はやはり大切ですね。
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執筆/nanami
Posted by 日刊いーしず at 12:00
2015年05月06日
第三十五回 静岡を見渡す清水忠霊塔公園
静岡市立清水病院の前の道、県道198号を海に向かってすすむと右手に駒越の小さな交番が見えます。交番の横は広めのグラウンドになっていて、こどもがサッカーなどを楽しむ日常的な光景が見られます。
今回ご紹介するのは、そのグラウンドの後ろにある小高い山(迎山)と一体につくられた清水市忠霊塔です。清水に在住の方でも知らない人もいるのでは…と思うほどひっそりと、山の緑に隠れるように建っています。

山の緑に覆われひっそりと建つ
清水市忠霊塔は56年前(1959年)、大東亜戦争の戦没者と戦災殉職者の霊を慰めるために清水市により建設されました。設計者は建築家、吉田五十八氏。彼の65歳のときの作品です。
吉田五十八氏は近代数奇屋建築の祖とされ、1964年に文化勲章を受章しています。代表作は東山旧岸邸(見学可)、岩波茂雄別邸、吉屋信子邸、成田山新勝寺大本堂、元歌舞伎座(第四期)など多々あります。

吉田五十八邸 住宅建築別冊17より

成田山新勝寺大本堂 大林組HPより
そんなすごい建築家が、なぜ清水の忠霊塔の設計を…?と思ってしまいますが、1942年(昭和17年)静岡市紺屋町にある名園「浮月楼」の建物も吉田五十八氏が設計しています。もしかしたら「浮月楼」の絶世の美女で知られた芸者・八重千代(旧姓 北原初枝)が、五十八氏の妻であったことが関係しているのかもしれません。残念ながら浮月楼は、戦災で焼失して現在の建物に建て直されています。

浮月楼 浮月楼HPより
忠霊塔をグラウンドに立って見上げると、正面に階段(92段)がそそり立ち、上にいくほど絞り込んだ、階段の両ささら桁が柱となり天空を指しています。反対側の丘からも2本の柱が立ち4本の柱が交差して、山と一体となったスケールの大きいモニュメントとなっています。
当時の市政だよりによると「神社の千木(ちぎ)を表現したデザイン」とあります。五十八氏は、戦没者を慰めるため、迎山という立地環境と日本文化を融合させてこの塔を考えついたのかもしれません。
山の頂上に立つと、富士山、清水港、三保の松原、晴れた日には伊豆連山が一望できます。まだ樹木が覆い繁っていなかった当時の忠霊塔は、きっと素晴しく、清水の人たちも感嘆の声をあげていたことと思います。

階段の両ささら桁が天空を指す

神社の千木を表現
清水忠霊塔公園への行き方
住所 :静岡県静岡市清水区迎山町2081-1
交通 :JR清水駅より しずてつジャストライン「忠霊塔前」下車 徒歩2分
※忠霊塔は現在、耐震・安全性に問題があります。これからもまちのシンボルとして永く存続させるためには、構造専門家と地域の方々の協力が、いまも求められています。
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執筆/鍋田さつき
今回ご紹介するのは、そのグラウンドの後ろにある小高い山(迎山)と一体につくられた清水市忠霊塔です。清水に在住の方でも知らない人もいるのでは…と思うほどひっそりと、山の緑に隠れるように建っています。

山の緑に覆われひっそりと建つ
清水市忠霊塔は56年前(1959年)、大東亜戦争の戦没者と戦災殉職者の霊を慰めるために清水市により建設されました。設計者は建築家、吉田五十八氏。彼の65歳のときの作品です。
吉田五十八氏は近代数奇屋建築の祖とされ、1964年に文化勲章を受章しています。代表作は東山旧岸邸(見学可)、岩波茂雄別邸、吉屋信子邸、成田山新勝寺大本堂、元歌舞伎座(第四期)など多々あります。

吉田五十八邸 住宅建築別冊17より

成田山新勝寺大本堂 大林組HPより
そんなすごい建築家が、なぜ清水の忠霊塔の設計を…?と思ってしまいますが、1942年(昭和17年)静岡市紺屋町にある名園「浮月楼」の建物も吉田五十八氏が設計しています。もしかしたら「浮月楼」の絶世の美女で知られた芸者・八重千代(旧姓 北原初枝)が、五十八氏の妻であったことが関係しているのかもしれません。残念ながら浮月楼は、戦災で焼失して現在の建物に建て直されています。

浮月楼 浮月楼HPより
忠霊塔をグラウンドに立って見上げると、正面に階段(92段)がそそり立ち、上にいくほど絞り込んだ、階段の両ささら桁が柱となり天空を指しています。反対側の丘からも2本の柱が立ち4本の柱が交差して、山と一体となったスケールの大きいモニュメントとなっています。
当時の市政だよりによると「神社の千木(ちぎ)を表現したデザイン」とあります。五十八氏は、戦没者を慰めるため、迎山という立地環境と日本文化を融合させてこの塔を考えついたのかもしれません。
山の頂上に立つと、富士山、清水港、三保の松原、晴れた日には伊豆連山が一望できます。まだ樹木が覆い繁っていなかった当時の忠霊塔は、きっと素晴しく、清水の人たちも感嘆の声をあげていたことと思います。
階段の両ささら桁が天空を指す
神社の千木を表現
清水忠霊塔公園への行き方
住所 :静岡県静岡市清水区迎山町2081-1
交通 :JR清水駅より しずてつジャストライン「忠霊塔前」下車 徒歩2分
※忠霊塔は現在、耐震・安全性に問題があります。これからもまちのシンボルとして永く存続させるためには、構造専門家と地域の方々の協力が、いまも求められています。
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執筆/鍋田さつき
Posted by 日刊いーしず at 12:00