日刊いーしず『まちの双眼鏡』は静岡のクリエイターブログになりました。

これからは静岡のクリエイターブログで更新いたします。
→http://sogankyo.eshizuoka.jp/
どうぞよろしくお願いいたします。
2014年10月17日
第二十三回 徳川家の家紋の形をした山
静岡市と焼津市、藤枝市との境にある山は、およそ東西6キロ、南北7キロの直径のすこし歪んだ丸い形をしています。その昔、志太から駿府に行くにはこの山を越えなければなりませんでした。奈良から鎌倉時代までは日本坂峠の海側のルート(現在の国道150線の地上付近)を、室町、戦国、江戸時代は宇津ノ谷峠 (国道1号線バイパスの付近)を歩いて越えていました。
JAXAの衛星写真を眺めていると歴史的発見?
(そう思っているのはきっと本人だけですが)
「この山は徳川家の三つ葉葵の家紋の形をしている。」

このエリアが3つの山の稜線でできているのを認識できます。高草山(標高501m)を頂上にもつ稜線、花沢山(標高449m)を頂上にもつ海側の縦長の稜線、そして北側の奥に鎮座する満観峰(標高470m)や丸子富士のある稜線です。驚いたことに、この高草山、花沢山、満観峰の頂上を直線で結ぶとほぼ1辺2.5キロの正三角形になります。その三角形の中には日本坂峠、鞍掛峠があり、静岡市の小坂、焼津市の花沢、藤枝市岡部の廻沢の集落につながっていて、まさに三つ葉葵の家紋の形に似ています(多少の想像力が必要ですが)。


満観峰、高草山、花沢山の中心の日本坂峠付近から駿府城の方角は丑寅(うしとら) の北東の鬼門の方向にあり、三つ葉葵の家紋を駿府城が守護しているような位置関係になります。家康が駿府城を築城し隠居したのには理由がある。仮説を立ててみました。
「徳川家康は三つ葉葵の家紋の形の山の存在を知っていた。」
上方から駿府に向かって敵が攻めこもうとしても、行く手を日本坂と宇津ノ谷の峠にしぼられ、そこで敵をせん滅できる。駿府はこの丸い自然の要塞に守られている事を意味しています。現在このエリアは充実したハイキングコースで、休日には多くの方で賑わいます。特に高草山、満観峰から丸子富士、朝鮮岩のコースは人気があります。満観峰の頂上は360°開けていて珠玉の景観です。古事記に書かれた日本武尊(ヤマトタケルのミコト)が東征の帰りに三種の神器のひとつである草薙の剣をふるった場所、焼津(やきづ)は高草山、花沢山、満観峰の頂上を直線で結んだ正三角形の辺りではないかと直感的な思いを巡らしています。

満観峰山頂から焼津市街を見る。右は高草山

満観峰山頂から花沢山,駿河湾を見る

満観峰山頂から静岡市街を見る
駿河湾に近接して山があり、雨水が沢や川になり、そこに人々が集まり、村ができ、そして神話が存在する。私たちの住む街の近くには、いまだに多くの隠れた物語が眠っています。しかしながら小生は貧乏+ひまなし建築家?であります。ましてやこの仮説を立証できる知見もありません。誰かがこの仮説を証明してくれる事を期待しています(笑)

谷間の花沢集落
この話、虚か実か。ノルカソルカ!
(駿河はアイヌ語のソルカが語源だと言われています)
原稿/天野吉尚 AMANO建築研究所 島田市在住
JAXAの衛星写真を眺めていると歴史的発見?
(そう思っているのはきっと本人だけですが)
「この山は徳川家の三つ葉葵の家紋の形をしている。」

このエリアが3つの山の稜線でできているのを認識できます。高草山(標高501m)を頂上にもつ稜線、花沢山(標高449m)を頂上にもつ海側の縦長の稜線、そして北側の奥に鎮座する満観峰(標高470m)や丸子富士のある稜線です。驚いたことに、この高草山、花沢山、満観峰の頂上を直線で結ぶとほぼ1辺2.5キロの正三角形になります。その三角形の中には日本坂峠、鞍掛峠があり、静岡市の小坂、焼津市の花沢、藤枝市岡部の廻沢の集落につながっていて、まさに三つ葉葵の家紋の形に似ています(多少の想像力が必要ですが)。


満観峰、高草山、花沢山の中心の日本坂峠付近から駿府城の方角は丑寅(うしとら) の北東の鬼門の方向にあり、三つ葉葵の家紋を駿府城が守護しているような位置関係になります。家康が駿府城を築城し隠居したのには理由がある。仮説を立ててみました。
「徳川家康は三つ葉葵の家紋の形の山の存在を知っていた。」
上方から駿府に向かって敵が攻めこもうとしても、行く手を日本坂と宇津ノ谷の峠にしぼられ、そこで敵をせん滅できる。駿府はこの丸い自然の要塞に守られている事を意味しています。現在このエリアは充実したハイキングコースで、休日には多くの方で賑わいます。特に高草山、満観峰から丸子富士、朝鮮岩のコースは人気があります。満観峰の頂上は360°開けていて珠玉の景観です。古事記に書かれた日本武尊(ヤマトタケルのミコト)が東征の帰りに三種の神器のひとつである草薙の剣をふるった場所、焼津(やきづ)は高草山、花沢山、満観峰の頂上を直線で結んだ正三角形の辺りではないかと直感的な思いを巡らしています。

満観峰山頂から焼津市街を見る。右は高草山

満観峰山頂から花沢山,駿河湾を見る

満観峰山頂から静岡市街を見る
駿河湾に近接して山があり、雨水が沢や川になり、そこに人々が集まり、村ができ、そして神話が存在する。私たちの住む街の近くには、いまだに多くの隠れた物語が眠っています。しかしながら小生は貧乏+ひまなし建築家?であります。ましてやこの仮説を立証できる知見もありません。誰かがこの仮説を証明してくれる事を期待しています(笑)

谷間の花沢集落
この話、虚か実か。ノルカソルカ!
(駿河はアイヌ語のソルカが語源だと言われています)
原稿/天野吉尚 AMANO建築研究所 島田市在住
Posted by 日刊いーしず at 12:00