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2015年01月08日
第二十七回 まちの記録と記憶
現在、建築士の有志にて、焼津の『浜通り』沿いに点在する蔵群を調査しており、その活動の中で出会った、まちの芸術作品について紹介します。
※焼津の『浜通り(北浜通・城之腰・鰯ヶ島)』については、第十七回の記事(「まちづくりスト」になろう)をご覧ください。

藍染作品「エンカ屋敷」 (焼津の老舗 ㈱岩清 所有 岩崎ひさ作品)
この作品を一目見て、語れる人は焼津の歴史をよく知っている人でしょう。惜しくも、作者は他界されてしまいましたが、私が成り代わり、この藍染作品という『記録:キロク』媒体を通して、そこから作者の『記憶:キオク』を読み取りながら、紹介させていただきます。
この作品は、実在した村松家(通称:江川邸や、エンカ屋敷とも呼ぶ)を題材にしています。戦前、浜通りの西側を流れる堀川の日和橋(江川橋・えんか橋とも言う)を渡った北側に、村松家の大きな屋敷がありました。史料によると、村松家は、廻船問屋、質屋なども併せ営むような、このあたり随一の豪農で、6棟の米蔵を持ち、高い塀をめぐらせた広壮な屋敷が、堀川に美しく映え、屋敷内の老松が川を覆うほどに枝を伸ばしていました。
下記が、明治中期の同位置で撮影された写真です。写真は、『記録:キロク』として、道を中心に、左に枕流亭(当時の高級料亭)、右にエンカ屋敷という構図です。一方、藍染作品の方は、左に川や柳、右に立派な老松が描かれ、中心に描かれたエンカ屋敷においては、米蔵がダイナミックに描かれており、作者の屋敷や蔵に対する思い入れを感じ、単なる記録ではなく『記憶:キオク』として表現されているように思います。

明治中期頃の日和橋通り 『市制30周年記念 写真集 ~懐かしの焼津~』より
史料によると、村松家は昔から豪農として栄える一方で、天文や天保の飢饉の際に米蔵を開放して難民を救済するという逸話が残っており、代々貧しき人々へ施すのを家風としていたため、地域の人々は村松家を敬愛の念を込めて「エンカさん」と呼んでいました。しかし、戦後の農地改革(農地解放)により一挙に没落し一族が四散してしまいます。藍染作品のダイナミックな構図と線の裏には、村松家の栄華から没落を哀れむと共に、焼津の人々を度々救ってきた感謝の念が込められているように感じます。

現在の日和橋通りは、「旧エンカ屋敷」と記したささやかな石碑が建っています。
皆さんにも、思い入れのある場所や建物、好きな街並みはありますか?
当たり前のように見慣れているものも、この先、何年後にはもう2度と見ることは出来ないかもしれません。
皆さんも、写真や風景画といった『記録:キロク』に想いを込めて、『記憶:キオク』に残してみてください。次の時代の人々が、その残された記録から、当時の記憶に浸り、きっと大事にしてくれるはずです。その連鎖が、次世代のまちづくりへ繋がってゆくのだと思います。
執筆者/小林修一級建築設計事務所 小林拓人
※焼津の『浜通り(北浜通・城之腰・鰯ヶ島)』については、第十七回の記事(「まちづくりスト」になろう)をご覧ください。

藍染作品「エンカ屋敷」 (焼津の老舗 ㈱岩清 所有 岩崎ひさ作品)
この作品を一目見て、語れる人は焼津の歴史をよく知っている人でしょう。惜しくも、作者は他界されてしまいましたが、私が成り代わり、この藍染作品という『記録:キロク』媒体を通して、そこから作者の『記憶:キオク』を読み取りながら、紹介させていただきます。
この作品は、実在した村松家(通称:江川邸や、エンカ屋敷とも呼ぶ)を題材にしています。戦前、浜通りの西側を流れる堀川の日和橋(江川橋・えんか橋とも言う)を渡った北側に、村松家の大きな屋敷がありました。史料によると、村松家は、廻船問屋、質屋なども併せ営むような、このあたり随一の豪農で、6棟の米蔵を持ち、高い塀をめぐらせた広壮な屋敷が、堀川に美しく映え、屋敷内の老松が川を覆うほどに枝を伸ばしていました。
下記が、明治中期の同位置で撮影された写真です。写真は、『記録:キロク』として、道を中心に、左に枕流亭(当時の高級料亭)、右にエンカ屋敷という構図です。一方、藍染作品の方は、左に川や柳、右に立派な老松が描かれ、中心に描かれたエンカ屋敷においては、米蔵がダイナミックに描かれており、作者の屋敷や蔵に対する思い入れを感じ、単なる記録ではなく『記憶:キオク』として表現されているように思います。

明治中期頃の日和橋通り 『市制30周年記念 写真集 ~懐かしの焼津~』より
史料によると、村松家は昔から豪農として栄える一方で、天文や天保の飢饉の際に米蔵を開放して難民を救済するという逸話が残っており、代々貧しき人々へ施すのを家風としていたため、地域の人々は村松家を敬愛の念を込めて「エンカさん」と呼んでいました。しかし、戦後の農地改革(農地解放)により一挙に没落し一族が四散してしまいます。藍染作品のダイナミックな構図と線の裏には、村松家の栄華から没落を哀れむと共に、焼津の人々を度々救ってきた感謝の念が込められているように感じます。

現在の日和橋通りは、「旧エンカ屋敷」と記したささやかな石碑が建っています。
皆さんにも、思い入れのある場所や建物、好きな街並みはありますか?
当たり前のように見慣れているものも、この先、何年後にはもう2度と見ることは出来ないかもしれません。
皆さんも、写真や風景画といった『記録:キロク』に想いを込めて、『記憶:キオク』に残してみてください。次の時代の人々が、その残された記録から、当時の記憶に浸り、きっと大事にしてくれるはずです。その連鎖が、次世代のまちづくりへ繋がってゆくのだと思います。
執筆者/小林修一級建築設計事務所 小林拓人
Posted by 日刊いーしず at 12:00